【逃げ馬予想】週刊・逃げ馬ランキングブログ

現役・逃げ馬をランキングしていく逃げ馬好きのためのブログ▼逃げ馬限定で今週の重賞予想を発信。レース後には展開を分析、逃げ馬をランク付け。初心者でも分かりやすい逃げ馬まとめ一覧表を掲載

【まとめ】寺山修司が”逃げ馬”について書いた、23の文章

 

寺山修司競馬エッセイシリーズ全7巻

「逃げ馬が好き」と自ら公言していた寺山修司が書いた7つのエッセイ集の中で逃げ馬について書かれている部分をピックアップし、各章の代表的な文章を引用しまとめてみた (※写真は寺山修司記念館)

寺山修司記念館

 

馬敗れて草原あり

もう一つの推理

「どの馬もすべて『先頭に立ちたい』と思っているとは限らないし、また仮に『先頭に立ちたい』思っているにしても、『どこからどこまで先頭に立ちたいか』ということになると、まるであいまいになってくるのである。」

「戦闘的な馬は、いわば逃げ馬に見られる型であって、ゲートがあいたときに『レースの成立』を感じて、先頭に立とうとする。」

「馬によっては、四コーナーをまわるまでが助走で、直線へはいったらレースが成立するのだと思っているのがいるかもしれない」

抒情的な幻影

「『貧乏な奴は、ドカンと一発大きいことをやってあとは逃げて逃げて逃げまくるのがいちばん』というのが彼の人生哲学である。」

「こんどのダービーはキーストンであると信じている。『あの馬は、おれの代わりに逃げてるんだ』というのが彼のいい分である。」

さすらいの切手

「私は何でも『捨てる』のが好きである。少年時代には親を捨てて、一人で出奔の汽車にのったし、長じては故郷を捨て、また一緒にくらしていた女との生活を捨てた。旅をするのは、いわば風景を『捨てる』ことだと思うことがある。

競馬で、逃げ馬が好きなのは、キーストンやニホンピローエースの逃げ方に、他馬を捨てて走る・・・・・・という後ろめたさを感じるからかもしれない。」

 

 

競馬無宿

日本一の逃げ馬を推理する

「美空ひばりの唄ではないが、『勝つと思うな、思えば負けよ』で、勝とうとしてペース配分を考える馬は、『強い馬』であって『速い馬』ではない。」

「私は咲いた桜が散るように、逃げて逃げて、逃げばてた馬が四コーナーで馬群の中に消えてゆくのを見るのが、好きなのだ。」

スシ屋の政とトルコの桃ちゃん ー 雨の日の逃げ馬

「晴天の日の逃げ馬と、雨の日の逃げ馬の違いは、理由のない哀愁に由来している。」

 

 

競馬への望郷

黒鹿毛の詩 ー 逃亡一代キーストン

「私の友人のバーテンをしていた李という男は、『夕陽よ急げ』という言葉が好きで、下宿の壁にマジックで大きく書いて貼ってあったが、『どういう意味なのだ』と訊くと答えてくれなかった。だが祖国韓国にいたころ、貧しくてかっぱらいを働き、少年院にぶち込まれ、それ以来”逃げる”ことだけを青春として生きてきた男だけに、この言葉にはひとしおの悲しみと恨みとが込められているように思われたのだった。」

騎手伝記 ー 赤羽英男

「ファンでもそうだが”逃げ”が好きなタイプは、破滅型、エリート出身、ドロップアウト志向に多く、”追い込み”が好きなタイプは、努力型、上昇志向に多い。つまり、人生のスタートでつまずいた者が、形勢の逆転に賭けて四コーナーまで我慢する、というのが”追い込み”のタイプだからである。」

 

 

旅路の果て

旅路の果て ー ユリシーズ

「ユリシーズは逃げ馬だったが、コーナーワークが下手で、『うまくカーブを切れない』という難点があった。『なあに、おれの馬は曲がったことがきらいなのさ』と、私はうそぶいていた」

旅路の果て ー ストロングナイン

「直線に入ってもストロングナインはバテなかった。必死でたてがみを逆立てて走るストロングナインには同期のハイセイコーやタケホープのような派手さがないかわり、『万年課長』の中年男の必死の生きざまが感じられた。

『何がこわくてあんなに逃げるのだろう』と私は思った。今にして思えばそれは『馬肉屋の湯気立ちのぼる鍋』だったのかも知れない。」

競馬無宿人別帖 ー 純情馬券で背広を買って

「『追い込み馬ってのは力を出し切らずに負けるとか、インコースがつまって出られなかったとか、前の馬にカットされたとか、言い訳が多いからね。ああいう言い訳はイヤだね、馬のせいにしてさ。逃げて、逃げて、逃げまくって、力つきはててゴールインして負けるなんてのは、満足いくもんね』」

競馬無宿人別帖 ー ホワイトフォンテン学者

「堅実な実人生で失ったロマンを、逃げの白馬に賭けつづける高橋さんに、私は人生という長いレースの第三コーナーのカーブを見る思いがしたのであった。」

競馬無宿人別帖 ー 哀れな男のバラード

「『逃げ馬というのは四コーナーまわって、ゴール近くなると、苦しがってあえぐでしょう。あの表情には、哀愁があって、ジーンとくる。』」

「『とれるかどうかはね、そんなに大切じゃない。逃げ馬がでれば、それを買う。ま、じぶんの運だめしみたいなものです。』」

競馬無宿人別帖 ー 思い出ボロボロ

「『逃げ切る馬より、差される馬の方が好きになりますね。逃げて逃げて、あと一息のところで差されてしまう馬が何とも言えず好き』」

 

 

山河ありき

続競馬無宿人別帖 ー 買う馬券はソロ目ばかり

「『先行馬ってのは、耳がいいんだよ。トーヨーアサヒなんて、耳がピッと立っててね』」

続競馬無宿人別帖 ー 競馬場に孤独を求めて

「逃げ馬が好きなのも『単騎先頭』に、夢を託せるからかもしれない。『東京は、他人を干渉しないから好きなんですよ。アパートの隣の人が死んでも、一か月もわからないなんて最高だね。そんなふうに死んでみたいよ』今日も、競馬場のスタンドで十万人の中の孤独を味わいにゆく」

 

 

競馬放浪記

陽はまた昇る ー わが心のジャパンカップ

「私はケンタッキーの調教師アリス・リチャードの言ったことばを思い出す。If you are going to die, in front.(もし、おまえが死なねばならないのなら、一番前で死ね)」

陽はまた昇る ー ザ・シューと呼ばれる男に会った

(寺山)「アメリカは(日本もそうですけど)スタートする時点で観客が熱狂してしまう。」「その点、ヨーロッパはスタートに無関心です。」

(シューメーカー)「ヨーロッパの競馬場は向正面の、スタンドのファンからは見えない地点でスタートすることが多いでしょう。だから、ファンは馬が見えるようになったところで、レースが始まっていたのかと気がつくんです。」

明日に賭ける ー 馬主になんかなるものか

「あの馬はまるでコソ泥のように逃げまくった。刑事の一団が三コーナーから四コーナーへかけて一気におそいかかる。だが、いつもつかまる訳じゃない。」

「おれは、ホワイトフォンテンが逃げ切った日は、一日中しあわせな気分になったし、つかまったとき、身内がヘマをやったときのように顔を赤らめた。」

明日に賭ける ー タマミの恋

「『おかしなことに気がついたよ』と三文酒飲みのイソさんが言った。『タマミがハナを切らなかったレースには、いつもクリシバが出ているんだ』

必ずハナを切る馬だったタマミが、クリシバが出ると先に行かせて、あとからついて行く、というのは、確かに妙である。クリシバは先行脚質だが決して逃げ馬ではない。」

「『レースで、クリシバのあとから夫唱婦随といったかたちでぴったりついて行くタマミを見ていると、いじらしくて泣けてきたよ』とイソさんは言った。『あれがひょっとしたら、タマミの初恋だったのじゃないだろうか?』と。」

 

 

さらば、競馬よ

さらば、競馬よ ー ダービー・ビリ馬物語

「『およそ馬には二つのタイプがある。自身のスピードで独断的に走る馬と、もう一つは勝負をする馬だ。勝負をする馬は相手によってレースをし、相手を負かして成績を残すことができるが、自身のスピードで走る馬は、相手がいてもいなくとも同じように走る。』」

長編競馬散文詩 勇者の故郷 ー 第四の歌 ローストメロディ

「『逃げろ、逃げろ』と男はテレビに向かって叫んだ。

『気を許すな、何も信じるな、ただ逃げるんだ!』」

長編競馬散文詩 勇者の故郷 ー 第九の歌 逃亡

「ミカズキよ、

どうしておまえは逃げ切ることができなかったのだ?」

長編競馬散文詩 勇者の故郷 ー 第十三の歌 ミカズキ

「スタンド前を

ローストメロディが先頭に立って逃げて行くとき、

男は、足が折れてもよい、と思った。

心臓が破裂してもよい、

ペース配分も何も考えなくてよい、

ただ死にもの狂いで逃げてくれ。」

 

 

 

まとめ

「馬敗れて草原あり」と「競馬無宿」は寺山修司自身の言葉でエッセイが書かれているが、それ以外は登場人物たちが馬について語る形式が多かった

特に逃げ馬に関しては、「逃げ」そのものに様々な意味(逃亡、可憐、儚さ、勇敢、実直、恐怖、合理性、哀愁、孤独)を見出しているためか、それらにまつわる登場人物も自ずと増えていった

そんな中、このエッセイ集で寺山修司本人の逃げ馬に対する考えを最も表しているのは「私は咲いた桜が散るように、逃げて逃げて、逃げばてた馬が四コーナーで馬群の中に消えてゆくのを見るのが、好きなのだ。」という文だと思う

 

どれかのエッセイ集のあとがきで「寺山修司の書く文は強すぎて、誰が解説を書いても負けてしまう」とあるように、今回まとめたそれぞれの文章の詳細は実際に本を読んでもらうのが一番。逃げ馬に限らず”競馬の魅力”が詰まっている作品なので、気になった方はぜひ!

寺山修司記念館